泣く事も笑う事も
安心出来るあたりまえの日常の上に成り立っている行動だ。
だから
足元を揺るがす非日常の事が起きれば、泣き方も笑い方も忘れてしまう。
それどころか
(はたして自分は
いつもは何を
どうしていたのか?)と。
極端な話
どうやって歩いていたのかさえ
わからなくなってしまうのだ。
そんな時は
背骨がぐたぐたになる感覚があって、立っているつもりだったのに
気がつくとへたり込んでいる事もある。
逆に体中がこわばっている事にも
気がつかず、ロボットのように
動き続けて、
突然頭が真っ白になって
立ち尽くしている事もある。
正気の沙汰ではないのだ。
「正気を取り戻す」とは
失ってしまった日常の時間軸を
心に取り戻す事なのだと思う。
その事を思うと、私はいつも
「千と千尋の神隠し」という
アニメの場面が浮かんで来る。
両親と離され
ひとりぼっちで
わけのわからない世界に
放り込まれ、自分の名前も
忘れかけていた千尋。
千尋がハクにもらったおにぎりを
食べ、一口ごとに涙が込み上げ、
最後は大声で泣きながら食べる。
泣きながらも一口、また次の一口と、大きく口を開けて
おにぎりを体に入れて行く。
このおにぎりは
ただのおにぎりではない。
取り戻し、必死で掻き寄せたい
「日常」そのものなのだ。
千尋の涙の速度は
凍っていた時間が少しずつ溶けて
どっと流れ始めた様子を思わせる。
思いの込められたおにぎりは
人を正気に戻す。
手のひらの上にある日常の輝き。
おにぎりは尊い。
その輝きは、何度もくり返されて行くべき「あたりまえの日常」
その尊さなのだ。



お米を炊いて「ごはん」にする事
あったかい湯気を上げる
毎日毎日のくり返しを
しぶとく続けていきたいです
#ハク#おにぎり#千と千尋#あたりまえの日常#正気を取り戻す