5月ももう半ばですね。
とっくに「子供の日」は終わり
近所の鯉のぼりもしまわれた。
さみしい。
一年中見たい。

鯉のぼりというのは
どうしてあんなに
心をときめかせるのか。
私は鯉のぼりが大好きだ。
これは小学校二年生の時の思い出。
国語の時間
「子供の日」にどう過ごしたか、
作文に書きましょうという
授業があった。
私は作文が得意だと先生に思われ
さらに、「出来る子」だと
思われていたと思う。
「さあ、発表しましょう」
という場面で、
真っ先に指名される事は
珍しくなかった。
その時もそう。
すらすら書き綴った私は
名前を呼ばれ立ち上がり、
自分の作文を読み始めた。
「きのうは子供の日でした。
学校が休みでわたしは
あそびに出かけました。
あちこちの家でこいのぼりが
およいでいるのを見ました。
わたしはこいのぼりが大好きです。
こいのぼりがあると、
そこでとまってずっと見ています。
こいのぼりのある家が
うらやましい。
うちはびんぼうだから
こいのぼりがかえないのだと
思います。
お金もちだったらよかったのにと
思いました...」
私が読み進めるにつれて
クラスのあちこちから
「そのちゃんちは
女の子しかいないし...」とか
「ちがうって」などなど
ザワ...ザワ...と呟きがもれてきた。
最後まで読み終えて着席した私に
先生は何も言わず、
「はい、よく読めました。」
「では次、〇〇さん」と
サラリと授業を進めていった。
あまりにも堂々とした
私の物知らずぶりに
クラスのみんなも
どう突っ込んでいいのか
わからなかったのだろう。
どうも腫れ物に触るかのような
微妙な空気を感じつつ
哀れ私は自分の間違いや
ざわめきの正体も知らないまま
下校したのである。
そしたら家に着いた途端、
母が待ち構えていた。
満面の笑みで私の手を取り
「そのちゃん!
鯉のぼりを作ろう!」と言うのだ。
私の目の前で母はいきなり
「ほうら見ててね!」と
父の古いワイシャツの袖を
付け根からハサミで
ジョキンと切り落とした。
さらにボタンのついた袖口も
切り落とし、端をV字に切った。
そしてそれを
新聞紙の敷かれたテーブルに
横向きに置いて
油性ペンを取り出し
大きな目玉と鱗と尻尾の線を
グイグイ描いた。
父の古いワイシャツの袖は
あっという間に
小さな鯉のぼりになったのだ。
「さあ!
そのちゃんも描いてみよう!」
母はハサミでまた
ワイシャツの袖を切る。
私にマジックを渡す。
先に描いた母のを見ながら
真似っこして描いてみる。
紙ではなく布に絵を描く事は
初めてだった。
それだけでもドキドキするのに、
ましてや少し前まで
父の洋服だった物である。
それにマジックで描くなんて
背徳気分もはなはだしい。
それを母親が堂々と
薦めているのだ。
口もきけずに興奮して
夢中になって描いた。
「色もつけよう!」
母はクレヨンを出して来た。
いつの間にか側に来た妹も
夢中になって、みんなで
鯉のぼり作りである。
描いただけで終わらせるような
母ではなかった。
母は子供が持つに丁度いい長さの
竹の棒をちゃんと準備していた。
棒に糸で自作の鯉のぼりを
くくりつけ
「はい!」と私と妹に渡したのだ。
「わあー!!」
「鯉のぼり!鯉のぼり!」
私と妹は喜び勇んで
外に飛び出した。
全速力で走るとちゃんと鯉のぼりは
泳いでくれるのだ。
鯉のぼりを泳がせるため私達は
高らかに腕を挙げて
近所を走り回り、
何の騒ぎかと近寄って来た
友人達は羨ましがった。
気をよくした母は
鯉のぼりを増やし、
みんなでそれを持って走り回った。
日が暮れるまで、子供が大騒ぎで
棒にくくりつけたワイシャツの袖を
はためかせるという
珍事が続いたのだ。
その日の夜母は、
女の子がおひなさまを飾るように
男の子のいる家では鯉のぼりを
揚げるんだよと教えてくれた。
それからの私は、鯉のぼりを見て
(大好きだ)と思っても
(うらやましい)と思う事は
なくなった気がする。
何と言っても
ワクワク不動の第一位。
あのワイシャツ鯉のぼりに
勝る物はないからだ。
しかし今考えると
みんなの前で私の作文に
ダメ出しをせず、
サラリとかわした先生。
きっとその後すぐ
母に電話して、私の事を
伝えてくれてたのではないか?
でなければあのタイミングで
あんなイベントを
母が繰り広げるはずはない。
ぼんやりの私が
気がつかないところで
数えきれないほどの
優しさや手助けを
当時の大人達はくれていたのだ。
たくさんそれを受け取って
私はここまで大きくなった。
鯉のぼりの季節になると
くり返し自覚する。
風を受けはためく鯉のぼりのように
すこやかであれと、あの頃
みんなに守られ生きて来たのだ。
