春を探しに

季節はもう初夏ですが

春になると毎年必ず浮かんで来る

風景の話がしたい。

 

まだ大人と手を

つなぎながらじゃないと 

家の外を歩くのがこわい...

そんな小さな頃の思い出だ。

 

「そのちゃん!

春を探しに行こう!」

ある日母は

ニコニコ私に手を差し出し

歩き出した。

 

まだ幼稚園にもならない

小さな子供。

笑顔のお母さんと

手を繋いで歩くだけで嬉しい。

ぽかぽか天気の中、2人きり。

 

「見つけた!春だよ。」

母はいぬふぐりを指差した。

 

足元に小さな青い星が光るように

花が咲いている。

 

「ここにも見つけた!」

 

指差す先には、はこべの白い花。

次はたんぽぽ。姫踊り子草。

 

近くの湿地から流れる小川。

「冬ほど冷たくないんだよ。

触ってごらん。」 

母が手を握っていてくれるから

安心してもう一つの手で

水に触れる。

その水の中揺れる芹の綺麗な緑。

 

1人では行けない

ワクワクした世界。

ゆったり歩いて家に戻り、2人で

「春がいっぱいだったね。」

微笑んだ。

 

大人になってもう一度、

思い出をなぞる様に

歩いてみた事がある。

湿地と小川は埋め立てられたけれど

あの時と同じ様に。

 

しかし

(えっ?こんなに

狭い範囲だったっけ?)

びっくりした。

 

 

母親とは魔法使いなのだ。

 

今考えれば

その時歩き回った場所は

ほんの小さな家のまわりだけ

だったらしい。

 

しかし、皆様!

母親のかける魔法の恐ろしさ。

 

その時の私は母と一緒に

どこまでも広がる明るい春の国に

居たと記憶しているのだから

ものすごい。

 

そして

その時の光の色や地面の匂いは

今でも体の中に残っている。

 

受験を控えた高校の頃、

「人間は初めての記憶が

1番残りやすいのだから、

(後から復習するからいいや)

なんて思わず、今のこの授業にこそ

集中しろ!」と先生に言われたが、

 

受験勉強のみならず

人が受け取る事は

みなそうなのかもしれない。

 

毎日が初めてづくしの幼い頃、

何を投げかけられたかは

とても重要な事なのだと思う。

 

その頃の子供に関わる人間は

ある意味皆、魔法使いになるのだ。

お花屋さんで売ってない花


みんな優しい思い出をくれた

私の幼なじみだ。