
手の事を思う時
思い出す漫画がある。
恋人と別れた事を
諦めきれない東京のOLが
彼の故郷まで訪ねて行く話だった。
普通列車でたまたま
向かいの席に座った女性と
おしゃべりをする。
いかにも「農家の嫁」という
佇まいのその女性は、
主人公の手を見て
「きれいな手だなぁ」
「住む世界違うもんなぁ」と
褒める。
駅に着くと
女性の旦那が迎えに来ている。
その男性は主人公の
かっての恋人だった...
というオチ。
「きれいな手だなぁ」
「住む世界違うもんなあ」
列車の中で言われた言葉が
主人公の胸に迫って来て
もう昔には戻れないと
はっきり自覚するという
ラストだった。
住む世界まで象徴してしまう手。
それで思い出すもうひとつの話。
あるテレビ番組で女優さんが
離婚したかつての旦那様の事を
語っていた。
その口ぶりは
なんだかんだ言って今でも
お互いに相手の事を信頼し、
大切にしている様に思えた。
(憎み合って離婚した訳じゃなし
復縁したらいいのに〜...)
なんてぼんやり考えていたが、
「あの人は家族の為に
家事をして荒れた手を
美しいと思う人だった」と
言ってるのを見て
(あー...そっかー...)と
なんとなく納得してしまった。
だってそれは
女優の手ではないから。
大好きで結婚しても、
自分の根幹に関わる場所の
相違はキツイ。
手に手を取ってはじめた
2人の生活。
だけど、その手の持つ意味は
違っていたのだ。
日常を重ねるうちに
違いは次第に大きくなり
別れ別れになる場所へと
2人を運んだのだろう。
はじめはそれ程
深刻に思っていなかった
ほんの少しのズレが
やがてのっぴきならない事になる。
その状況を思う時、私は心の中で
分度器を思い浮かべてしまう。
しっかり重なっていた点と点は
ほんのちょっとの
方向性の違いから離れ始め
線を伸ばすにつれて
どんどん距離は離れて行く。
重なる2つの点は、
やがて離れる事を予見してた訳でも
望んでいた訳でもないのに...。
分度器を見る度に
私は勝手に点と線を擬人化して
しみじみしてしまうのだ。
おっと、話が「手」から
「分度器」になってしまいました。
あらためて、自分の手を見てみる。
(今日の私の手は何をした手かな)
と、1日の終わりに
「じっと手を見る」のは
案外大切な事かもしれない。
さて、盛岡は
美味しいお団子屋さんが
何軒もある街だ。
胡桃味噌だれのお茶餅や
甘くないお醤油団子とか
この土地ならではの
物があるのだが、
今日パート先で、あるお店について
お客様からいいお話を聞いた。
「先代のおばあちゃんの手は
いつもお醤油の匂いがした」
「今の女将さんも
きっとそうなるね」と
昔からの常連らしきその人は
受け継がれていく手について
嬉しそうに話していた。
きれいに洗って接客していても
その手から立ち上がる
お醤油の香り。
毎日くり返しお団子と向き合う
女将さんの誠実さの香り。
職人の手はいつもかっこいい。




仕事先でもアトリエでも
失敗ばかりだった日は
自分の手をちゃんと見られない。
だけど今日は
梅干しを干す事が出来た。
赤く染まった手は
ちょっとだけ私を
許してくれてる気がする。