
昔の石巻は、
海や北上川という水辺から
街の活気が広がる場所
だった気がする。
とにかく圧倒的に
河や港を中心に動いていた空気。
今でも石巻の海産物はとびきりで
大きな自慢だけれど
人の流れや賑わいは
水の流れ沿いではなく
車の流れ、つまり
バイパス沿いに集まっているのかな
なんて感じる事もある。
今年のお盆は久しぶりに
石巻に帰りました。
母が車を出してくれて
2人で確かめるように
いろんな場所に行きました。



私が幼かった時とは
もっと違う意味で
石巻の水辺は
大切な場所になっています。


それをひとつひとつ
確かめるように歩いて来ました。

そして自然と車は日和山へ。


日和山に来ると母は必ず、父との
シークレットお花見の話をします。
その頃、父の勤務先の高校は
日和山の近くにありました。
課外授業がてらなのか
よくわかりませんが、
日和山の桜が満開の頃、
教師がついて生徒みんなで
お花見しながら
お弁当にするという日が
あったそうです。
「おい、明日お花見だから
あそこで待ってろ。」と
父に指示を受けた母はお弁当を作り
幼い私達姉妹の手を引いて
その秘密の場所で待機して
父を待ちます。
こっそり生徒達から離れて
父と母はちゃっかり
家族でお花見しちゃう訳です。
今なら大変!見つかったら
大問題になってしまうでしょうか?
ほんのひとときですが、
本来なら会えない時間に
お父さんと桜の下でお弁当。
そして両親が後ろめたさとスリルを
感じているという面白さ。



私にとってもここは
忘れられない場所になっています。
日和山の風景はちょこちょこ
変わった所もありますが
大きく変わる事はありません。
懐かしく、心強い。

私が子供の頃は
お茶屋も、売ってるおもちゃも
もっとあって、
呼び込みのおばあさんが
自慢のハスキーボイスで
田楽を売っていました。
おばあさんはいなくなり、
お茶屋さんはここだけに
なってしまったけれど、
「これぞ日和山の味!」と
言いたくなる田楽の味は変わらず。
お面の並ぶ風景も記憶のままです。



正直私は、父が急死した時
母が後を追って死んでも仕方ないと
思っていました。
精一杯引き止めようと
頑張るつもりでいたけれど
(あり得る事だ、仕方ない。)と
娘として冷たいかもしれないけど
そう思ってしまった。
私は母が、母にとって
どれだけの人を突然亡くしたか
よくわかっていました。
だからそうなっても仕方ないと
どこかで納得していました。
それでも母は
この世に留まってくれた。
ありがたい。
母の中にある生命力に感謝。
しかし母の生命力は
ただ持って生まれたものではなく
暮らしの中の小さな幸せや
真心を受け取った思い出が
その強さを
補強して行ったものだと
思うのです。
日常の幸せの思い出。
例えばシークレットお花見の様な。
母の中には
たくさんの思い出が満ちていて
彼女の生命力を
常に補強し続けている。
そんな気がするのです。

桜の季節の写真)