浅井先生(もらった言葉)

「あのデッサンを描いてた子が

 こんな絵を

 描くようになるとはなぁ」

美術部顧問だった先生と

高校卒業後、初めての再会。

 

大学の卒業制作の写真を見た先生は

目を細めてそう言ってくれた。

 

その笑顔を見られただけで

私は嬉しくて有頂天になった。

 

(おまえ、描きたいものを

見つけたんだな、よかったなぁ)

と言われた気がした。

 

私の絵はちよっと変わった材料を

使っていて、しかも

抽象画であったから

初めて見た人は戸惑い

「これ絵ですか?」と

思わず聞く人もいた。

 

母方のばーちゃんなぞ

まさに、絵の目の前で

「そんであんだの絵は、

どごにあんのっしゃ?」

(それであなたの絵は

 何処にあるの?)

と言ったくらいだ。

 

先生はそんな私の作品を

喜び、認め、面白がってくれた

人だった。

 

高校生の頃、美術室で

少しでも上達したいと

デッサンする私は

先生の気配がすると恐怖だった。

 

大体、先生は背が高い。

声をかけられる前に、

キャンバスやパネルに

背後に迫った先生の影が

映るのだ。

 

(うお、来た!)と思う。

影の中、無意識に首がすくむ。

 

黙ってグイッとデッサンの狂いを

直される時もあれば

しかめっつらでそのまま

行ってしまう事もある。

どっちにしても身が縮んだ。

 

それだけ先生を

私は頼りにしていたのだ。

 

美術室じゃなくても

先生が廊下の向こうから

歩いて来るのを見ると

ドキンとした。

 

廊下で鉢合わせすると

必ず言われる言葉があったからだ。

 

緊張で薄ら笑いをする私に

すれ違いざま先生は必ず

「丹野、描いでっが?」

(丹野、描いているか?)

と声をかけ、歩いて行くのだ。

 

私はうつむいてすれ違う。

 

上達しない自分と

向き合うのが嫌で、

部活をサボリがちだった時もある。

 

胸を張って「描いてます!」

なんて言えない私だった。

 

大学卒業後、

自分の作品の写真を持って

会いに行ったのは、

先生に「描いてます」と

答えたかったからかもしれない。

 

その時私はやっと

先生とちゃんと目を合わせて

笑えるようになっていた。

 

それから何年も経った今

相変わらず私は絵を描いている。

 

先生と直接会う事は

難しくなってしまったけれど

今も先生の声は、胸の中で

くり返し聞こえて来るのだ。

 

私はその声に

「描いています」と

答えられる自分でいたいと

思っている。

 

卒業アルバムの浅井先生。

キャー!貫禄たっぷり!
威厳たっぷり! だけど、
それだけじゃない先生のお話は
まだまだ続きます。

そして...
今月石巻で開催される展覧会です。

浅井先生に「描いています」と
報告したい人は、私の他にも
たくさんたくさん居るのです。


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