心に届く

心が、のっぺりと

平らになってしまう事。

なげやりな

(どうでもいいや)という気持ち。

 

 そんな状態になってしまうのは

怖い事だと思う。

 

それは

自分の事を嫌いになり

投げてしまった、という状態だ。

 

恥ずかしながら20代のある時期

なげやり状態にはまって

抜け出せなくなった事がある。

 

それまで

心の均衡を崩すような出来事は

外側から

自分にもたらされるものだと

思っていた。

 

人に裏切られたり

攻撃されたり

誰かのせいで

何かのせいで

起こる事だと思っていた。

 

ところがその時

きっかけは

内側からやって来た。

自分のせいだった。

 

理想の自分と現実の自分が

バラバラなのに

気がついていながら

騙し騙しやり過ごしていた結果、

私は人を裏切った。

 

認めたくなかった自分の

弱さ醜さが露見して

信じたかった自分の姿は

どこかに消えてしまった。

 

自分でいる事が

ほとほと嫌になった。

 

そして自分を嫌いになり

信じられなくなった事は、

思ってもみなかった状態へ

私の心を連れていった。

 

心の底ではつらくてつらくて

悲鳴をあげているのに

涙も出ない。

自分への怒りも悲しみも

表情に出てこない。

 

それどころか

変な笑いが込み上げる。

 

人に会えばいつも薄笑いをして

ヘラヘラしているのに

うれしくも楽しくもない。

外から見たら

幸せそうにしか見えない顔を

しているのに。

 

そのうち心が

のっぺらぼうに

なっていくのがわかった。

 

自分がすり切れていく

感覚があるのに

笑う事が出来ても

泣く事が出来ないのは

不思議だった。

 

(もうどうでもいいや)

 

昼は自分にも周りにも

嘘をついているような時間を過ごし

夜は限界を超えるまで

酒を飲んで眠る。

 

自分の中にあった大切なものが

どんどん流れ出していくのを

どうする事も出来ず

呆然と眺めているような

毎日だった。

 

ある夜

酔いにまかせて

眠ってしまおうとしていた私の耳に

つけっぱなしだったテレビから

歌が聞こえてきた。

 

それは、いつものように

ただ流れて行く音とは違った。

 

ぼんやりしていた頭に

いきなり

声が差し込んで来たような

感じだった。

 

おだやかな声なのに

まるで「起きなさい」と

頬を張られたようだった。 

 

その声はどこまでも

私を優しく包み込むのに

決して甘やかさず

歌詞の一つ一つが

入りこんで来て、

薄笑いの奥に隠れていた

私自身をつかみ出した。

 

いつのまにか私は

テレビの前に座り直して

ぽろぽろ涙をこぼしていた。

そのうちたまらず

ふとんをかぶって

わんわん泣いてしまった。

 

歌に「よしよし」と

頭を撫でてもらった気がした。

 

幼い頃、母の胸にとびついて

「おかあさん、おかあさーん!」

と泣いた時のような気持ちで

ふとんの中で泣いた。

 

その時から

加藤登紀子さんは

私の恩人である。 

 

のっぺらぼうになっていく心に

歌を届けてもらった。

 

もし恩返しが出来るとすれば

私が、誰かの心に届く絵を

描いた時だろう。

 

必ず恩返ししたい、と思っている。

 

加藤登紀子さんがコンサートで

石巻に来てくれた時、

お手紙を渡して

気持ちを伝える事が出来ました。

この本は宝物。

 


人は

時を超えて 場所を超えて

目の前に居ない誰かを

抱きしめる事が出来る。


情けなかったあの夜の私に

加藤登紀子さんが

教えてくれた事です。


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