「私は台所が好きです」
小学校2年生の時に書いた
作文の書き出しだ。
しかしこれ、そもそも
私の言葉ではない。
書き出しに悩んでいたら
母が「こうすればいいよ」と言って
決めたものだった。
言う通りにした私は
スルスルと文章を書き進めて
結果、先生に褒められた。
でもその時の事は
自分の好きなものを
先回りして決められたような
違和感が残った。
(はたして私は
台所が好きなのか?)
私は単に、母の側に居たくて
台所に行ってた気もする。
それを、料理に興味があり
台所が好きな子だと
母は勘違いしたのではないか?
自分でも答えは
うやむやのまま歳をとった。
時が経ち、子供を授かり
里帰り出産の為、大きいお腹で
実家にいたある日、
「あなた一日中
台所に居るじゃないの」と
母に言われた。
その口調は、
(大きなお腹抱えてしんどいなら
台所に居る事ないのに)という
意味合いだった。
何だか猛烈に悲しくなった。
どうしてだろう。
母は私を労り、助ける為に
その言葉を言ったのに。
その時の私は
大きくなったお腹や
これからの不安を抱え、
かなり情緒不安定だった。
気持ちを持て余して
身の置き所を探した結果、
ごく自然に台所に向かい
手を動かしていたのだ。
そして今、我家では
一緒に暮らす猫のしまの
調子が悪くて
目が離せない状態になっている。
一度は三途の川を渡りかけたけれど
しまは、帰って来てくれた。
元の甘えんぼ食いしんぼに戻り、
(よかった!)
(元の姿に!)
と思ったのに、
またガクンと不安定な状況に
なってしまった。
しまの様子を心配して家にいる時、
私はアトリエに行かない。
行けないし、描けないのだ。
何も。
私は
しまの姿の見える場所にいたい。
そして状態が安定していると
隣の台所で手を動かすのだ。
そうしながらふいに思い出した。
大好きだった祖母が
亡くなった時の事。
お通夜の次の朝早く、
叔母がみんなの為に
大鍋いっぱいの
オニオンスープを持って現れた。
玉ねぎ以外にも野菜が入り
柔らかな飴色のスープだった。
私の母をはじめ
皆の嘆き悲しみは相当なもので、
叔母だってそうに違いなかったのに
夜遅く自宅に戻った後、
このスープを作ったのかと
私は驚いた。
悲しみに萎縮した皆のお腹に
それは優しく染みて行った。
私はしみじみ
(美味しい、助かった)と思った。
(叔母はさすがだ。)
(すごい。強い人だ。)と
その時は心で叫んだが、
今ならわかる。
叔母は悲しみのあまり
身の置き所が
なかったのではないか。
台所で泣きながら
畑で作った野菜を刻み
同じように畑仕事をしていた
祖母を思って、ひたすら手を
動かしていたのではないか。
あのオニオンスープの優しい味は
叔母がその身に受けて来た、
祖母の愛情そのものだった。
私も、しまから
たくさんの愛情をもらっている。
それはもう計り知れない程だ。
心配で乱れそうな呼吸を整えながら
回復と無事を祈り
台所で手を動かす。
不安で震える手が、
野菜を洗い、皮を剥き、刻み
火加減を見る事で落ち着いて行く。
今になって私は
やっと腑に落ちた気がしている。
「私は台所が好きです。」
母の言った通りだった。
ほんの1か月前は
やんちゃに遊べるまで回復して
「オラオラ」と
イキがっていたしま。
点滴の留置針が抜けないよう
接着包帯を巻かれたまま
病院から戻るとぐったり眠る。
明日からも頑張る予定。
お気に入りのぬいぐるみ
「ちゅう助」の匂いで少しでも
安眠出来ますように。
