私に嫌われてもいいの?

私が子供の頃(昭和)は

大人から子供まで、

叱るにしろケンカにしろ

よくポカポカ人を

殴ったなぁと思う。

 

テレビのアニメやドラマでも、 

平手とか拳とかが出るシーンは

今より多かったと思うのは

気のせいか?

気のせいじゃないですね。

 

私だって

両親や先生や

友達や妹に、

ゴツン!とかパシン!とか、

やられた事も、もちろん

やった事もある。

 

でも、

武器を使うような暴力や、

しつこく何度もいつまでもとか、

多勢に無勢とか、

そういう隠惨な目には

遭っていない。

 

だからなのか

昔あったそのほとんどを忘れたか

うろ覚えだ。

 

でも1つ、

ちょっと特別な記憶がある。

 

印象的だったのは

叩かれた事ではなく、

その時湧き上がった

自分の気持ちである。

 

小学校、3年生くらいだろうか。

厳格な父に大声で叱られれば

多少ふくれっ面でも

謝っていたのに、

その日は生意気な口答えをした。

そこでほっぺをパシンとやられた。

怒りで思わず出た、という感じの

平手打ち。

そういうのは

初めてだったと思う。

 

それをくらった次の瞬間

ほとんど反射的に

私はまっすぐ父を見返して

思いっきり睨みつけた。

 

その時の気持ちは

(私に嫌われてもいいの?)

というものだった。

(こんな事して、

 後で後悔するわよ)

みたいな。

 

叱られている立場でありながら

私は父を睨んで

無言でふんぞり返った。

(憎たらしい子供だ)

 

普通、子供が大人に

突然平手打ちされれば、

一瞬頭が真っ白になって、

次にやって来るのは

恐怖や悲しみだと思うのに、

その時の私は違った。

 

(嫌われてもいいの?)と

ふんぞり返るなんて、

相手が自分を大好きで

大切にしていると

はなから信じ切っているからだ。

そして自分は

大切にされるべき存在だと、

自信がみなぎっているからだ。

 

何とも幸せな子供だったと思う。

その根拠のない自信は

どこから来るのか。

 

たぶん物心ついた時には、

既にその自信を

持っていたのではないかと思う。

 

この世に生まれて来て

目の焦点の合う前から

言葉を知る前から

「あなたが生きているだけで

嬉しい」と、

毎日毎日、五感を通じて

伝えられ、育って来たのだろう。

 

日々の暮らしの中、

その愛はゆっくり

私にしみこんで自信となり、

やがて、平手打ちくらいでは

揺るがないものになったのだ。

ブラボー!

 

しかしまあ、それをいい事に

生意気盛りだったなぁと思う。

言った言葉は覚えていないが、

相当小憎らしい

口答えをした感覚は 

覚えている。

 

父ちゃんごめんな。

 

父の平手打ちは

それが最初で最後だった。

考えてみれば出産って

世界中、毎日何処かで

女性がやっている事ですが、

どんなに医療が発達しても

当日何があるかわからない

命懸けの大仕事だと思います。


自分が今ここにいるという事は

命をかけてくれた人が

いるという事で。


その事だけでも

無条件に愛されたと

言えるのかもしれませんね。


ちなみに母いわく
私の手は父親似だそうです。

あの日私をパチンと叩いた手。
時に優しく強く握ってくれた手は
今私の手に宿っています。